2010年代中盤で言うと、「Devilman crybaby」という作品がかなりの大作でアニメ界隈でかなり注目を集めた。これはネトフリ独占作品だったので地上波しか見ないという人にはあまり馴染みがないかもしれないが、永井豪の漫画「デビルマン」を原作に湯浅政明率いるサイエンスSARUが再解釈したFlashアニメーションバリバリの作品で、海外からの評価もめちゃくちゃ高かった(多分湯浅政明が海外カトゥーンをバックグラウンドに持っているせいもあるし、主役の二人がICU高校卒と帰国子女で海外っぽい空気感に合わせるのに苦がなかったのもありそう)。
湯浅政明=アートアニメみたいなイメージがあるので、この頃はまだ「Flashアニメ使うとアートぶりっ子できるのね」みたいな感覚ではあったかもしれないけど、それでも視聴者や一般に「Flashアニメイケてね?」と思わせた転機のひとつではあったと思う。
「ケレン味」勢は自主制作アニメ界隈が発祥ということもあって長らくちょっと「アート風味」「サブカル」みたいなイメージだったが、ここ数年は呪術廻戦や(見てないけどおそらく)ヒロアカなどのジャンプ超大作のアニメ化にも(ツールとかではなくデフォルメ感とかの意味で)普通に取り入れられており、定着してきたなぁと思う。当然、チェンソーマンも取り入れており、というかTV版の監督は前述の榎戸駿に「盟友」と呼ばれている仲であり完全なる「ケレン味」派閥なのである。
なぜかXだとTV版監督をこき下ろすポストが目立ち、だがどこが悪かったのか具体的に書いてないので原因がよくわからない。「単調」みたいなのはチラッと書いてあるのだが、タイム感の話なのかルックの話なのかよくわからない。
ルックというかカラコレの話であれば、原作の藤本タツキが重度の映画マニアで原作漫画の至る所に映画のオマージュシーンが挟み込まれているのだが、TV版はそれを丁寧に拾っている印象で、オマージュ元に近づけようとするとオマージュ元の作品ごとにトーンがバラつくという問題はあったかもしれないなとは思う(あまり記憶にない)。あと、オマージュ元に90年代作品が多いので、ウォン・カーウァイとかあの辺の香港映画のカラフルなのに磨りガラス越しみたいな薄暗くモヤっとした画を踏襲してる話数とかあったような気がしないでもなく、あの薄暗モヤっをさして「単調」と言ってるのではという推理をしている。
劇場版チェンソーマン レゼ篇の監督の吉原達矢(「吉」は正しくはつちよし)は前述の「まゆとかげ」の二人が自他共に認める吉原達矢フォロワーであり、TV版監督の中山竜も師事していた人物なので、弟子より師匠の方が出来栄えが上というのは当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないが、方向性に関してはそんなに違うわけがなく、実際アクション作画については同じ方向性だと感じたし、劇場版の日常パートはむしろ万人受けするタイムレスで端正な「ウェルメイド」寄りに「戻した」とすら思ったよ。
ついでに言うと劇場版の褒められポイントのひとつである牛尾憲輔の劇伴だが、これはTV版からの継続で、なんならここ20年くらいのオシャレアニメはほぼ全部牛尾憲輔が手がけていると言っても過言ではないし、「Devilman crybaby」も牛尾憲輔だ。
クラブミュージックを追っている人ならアニメ知らない人でも石野卓球やナカコー近辺で牛尾憲輔の名を聞いたことがあるだろうというくらいクラブカルチャーの人でもあるので、「Devilman crybaby」のときは牛尾憲輔をフィーチャーしてWOMBでDJイベントやったりしていた。
と、いうわけで、セルアニメの頃は効果的に効率的に演出を表現する方法として「ケレン味のある絵」みたいなのが良しとされていたのが、制作工程のデジタル化により、端正に作画するところに余力を割けるようになり「美麗かつ動く!」みたいなのが実現可能になったのでUfotableみたいなのがすごいスタジオとしてもてはやされるようになる一方、裏で牙を研いでいたFlashアニメなどを出自とする「ケレン味」派閥が今台頭してきています、というお話でした。
※ 別に業界内部にいて実際に自分の目で見たとかではなく、あくまで視聴者として外側からそう見えました、そう推測していますという話なので悪しからず。
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