よりもい11話

木曜日, 03. 15. 2018  –  Category: Featured, Review

 ついったで「『許す』『許さない』両方の選択を描写したのは素晴らしい」的な意見が流れてきたんだけど、日向の言動をして「許す」選択肢と言っているのであれば、psiの解釈はだいぶ違う。
 日向は全然許してない。許せてない。ただ、あれを「なかったこと」にしたいだけだ。

 ある種の人間にとって、理解できない、したくない悪意というものがあって、その存在を認めた(≠許容)上で怒る、というのはとても勇気のいる、難しいことだ。できるなら、なかったことにしたい。
 痴漢の被害にあった人が時折「なんてことなかった、まったく気にしてない」とまるで加害者側の肩を持つような発言をするのは、これと似た現象だと思っている。

 日向は普段の言動からして「物分りの良い」人間として描かれていて、パスポート事件の時も、自己犠牲精神とかではなく単純に全体最適を考えて報瀬たちを先に行かせることを提案しているように見えた。
 「物分りの良い」人間というのは、物事の理屈や筋、道理というものを信頼していて、人間がそれに従って動くと信頼している。というか信頼していないと、とんでもなく理不尽な悪人とかに道理もへったくれもなくひっくり返されて、「物分り良」くしていられないからだ。
 そう。まさに日向が部活で、学校で体験したことだ。
 チームメイト達が保身のために咄嗟に嘘をついてしまう。そこまでは、おそらく日向にも(傷つくかどうかはともかく)理解できたのではないか。だから、チームメイト達が先輩から非難されず、自分を選手に選んだ人の顔を立て、先輩も試合に出られるという全体最適解として、部活をやめた。キマリたちに話をする際、「人間って怖いもので」みたいな前置きの後に話されたのはむしろ部活をやめた後の彼らの行動で、先輩の問題は日向の退部により解決したにも関わらず、さらに自分たちを正当化し日向を悪人として仕立てあげずにはいられない。これは全く必要性のないことで、日向には理解できない。そんな趣味みたいな悪意が理由もなく存在していいのか。ましてや、根拠のない噂話で周囲には日向を悪人に見せることができたかもしれないが、南極調査隊としての日向にどの面下げてコンタクトをとろうとしているのか。「やっほーひさしぶり」とか言われるとでも思うのだろうか。「ふざけんなクソが」とか配信で言われたらマズいとか思わないのか。どう考えても帳尻の合わない悪意だし、愚かさだし、見栄だし、自己顕示欲だ。
 そういうものの存在を認めてしまうと、日向の世界観が崩れてしまう。学校に通って悪口を言われている限り、それが存在していることになってしまう。悪口そのものに傷つくというよりも、そういう理屈も道理もない悪意が存在すると認識しなくて済むように学校を辞めたというのが本当のところではないか。

 報瀬との水くみのシーンで、日向は「恐いのかも」と言った。
 自分以外が悪にならずに済むように部活を辞めた。それでも追いすがる悪意を見ずに済むように学校を辞めた。全てを振り払って、全てが新しい南極にやってくることが出来た。もう、なにもなかったことにできた。理不尽な悪意なんてなかった。
 そう思ったのに、電波に乗って「人間って恐いもので」という認識が追いかけてきた。
 ふざけんな、バカヤロー、罵倒してやりたい。全然許せてなんかいない。でも、罵倒したら、アレをなかったことに出来なくなってしまう。けれど、どうしても彼らとの(画面越しの)対面が避けられないのであれば、なんとか表面上やり過ごして「えっ今なんかありました?」と自己欺瞞するしかない。それが、カメラの横で待機しているときの心境ではないだろうか。

 結局、水くみのシーンで「手しかいらない」と言われたのに、そこのところを報瀬は理解していなかった、あるいは友人を傷つけられた怒りの方が勝ってしまった。報瀬たちがチームメイト達を代わりに罵倒したことで、日向の接触を避けたまま彼らの一人勝ち状態を防いだ、めでたしめでたし、と取るか、日向の「なかったことにしたい」という願いは無下にされたが、「手しかいらない」つまり、友人のために怒ってくれる気持ちは嬉しいのでまあよし、ととるかは難しい所だけど、個人的には罵倒の痛快感がちょっとまさるかなという感じである。

 私からは以上です。

※二段落目追記しました

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