【スライド・ショー】画面キャプチャで見るWindowsの25年間 : Windows Server – Computerworld.jp
丁度この間、下のような事を呟いていて、昔のパソコン事情を色々思い出していたのでタイムリーな記事だった。
- あれは父親がそういうエイリアスコマンド作ってくれていたのか、もともとそういうコマンドだったのか分からないけど、我が家に最初にwindowsがやってきた時、DOS画面で”w,i,n,return”とやると、windowsが起動する仕組みになっていた。 posted at 13:10:51
- で、思ったんだが、最近returnキーという言い方を聞かない。学生の頃はまだ生き残っていた気がするんだが……と思って調べてみたら、学生の頃はマカーだったからだった。 posted at 13:11:06
- returnキーは、IBM PCとAT互換機が駆逐してEnterキーになったらしい。そういうこと言うとメインフレームはctrlキーが云々とか言い出す人がいそうだが無視。http://bit.ly/hGGOAP posted at 13:12:11
元記事はほぼオフィシャルなWindows史ですが、ここではpsiの記憶と主観によるテキトーパソコン史をつづっていきたいと思います。
(1) 人力アンチエイリアスを発明した男
それまでアキバのパーツショップで調達してきた基板にトランジスタとかをはんだでコネコネ作ったマイコンを使っていた父親が初めて(多分)メーカー製のパソコンを買って来た。
かの有名なPC-98xxだ。細かい型番は忘れた。それも、筐体にそう書いてあったから98だと信じてるだけで、もしかしたらガワだけどっかから拾って来たという可能性はなくは無い。
兎に角、この98にWindows1.0(多分)が入っていた。GUIである。
……というほど衝撃はなかった。と言うのも我が家にはマウスと言うものが無く(当時の私にはそんな概念すらなかった)、キーボードで全て操作していたからだ。
私的には一太郎が使えれば全て世は事もなしだ。(これとかはCLIの一太郎で書いていた)
この98の次だかその次だかに父親が買ってきたのがPC/AT互換機だった。メーカーは分からない。兎に角父親が「これがAT互換機だ!」と自慢するので「AT互換機ってなに」と聞いたら「IBMと互換なのだ」としか教えてくれなかったので何が凄いのかサッパリ分からなかった。
そんな事より、このPCではWindows3.1が動いた。これには感動した。遂にマウスも買った。ムチャクソ高かった。
気付いたらWindows上にお絵描きソフトがインストールされていた。アートマスター98という。ここまで書いて、98と言うからにはこのPCは98だったんじゃないかという疑念が湧いて来たがまあいいや。
兎に角、パソコンで絵が描けるのだ。画期的である。っていうか、マウスってこの為か!と納得した。(正直、これまてCLIで不便を感じていなかったので、マウスの必然性には疑問を感じていた)
厳密なことを言うと、花子というジャストシステムのソフトはそれ以前にも使ったことがあったのだが、あれはペイントソフトではなくてベクター描画ソフトだったので、直線とか丸とか四角はかけたけど、子供的には三秒で飽きた。
思うに、WiiのWiiリモコンという入力デバイスをヒットさせたのは、あれを有効利用するゲームソフトあったからこそであって、RPGばっかりリリースされていたらWiiは流行らなかったのと同様に、マウスを普及させるにはマウスを有効利用するソフトウェアが必要だったのだ。と、たまにはSEらしく技術観を語ってみる。
さて、アートマスターは貴重な娯楽系ソフトとしてもありがたかった。
父親はゲームソフトをほとんど買わない人だったので、BASICだかDOSだかで動くロードランナーと、自作のインベーダーゲームしかなかった。上海もあったっぽいのだが、起動コマンドを教えてもらえなかった。もちろんこれらは全てWindowsでは動かない。
インベーダーゲームは京大式カードにサブルーチンをしこしこかいてはあっちにやったりこっちにやったり奮闘していたので、てっきりイチから作ったと思っていたのだが、後から大学や会社の先輩に聞いたら、当時は雑誌の付録にインベーダーゲームのサンプルコードが載ってて、そのまま入力してコンパイルすれば普通にゲーム出来たらしい。じゃあヤツらは何をしてたんだろう?
因みにこのゲーム制作には母親も参加していた。「お母さんが研究室で使(つこ)てたコンピュータなんてパンチカード式やったし、こんなん全然わからへん」とか文句を言っていたが、ウチの親は結婚式をしていないので、当然ケーキ入刀もしていない。psiの製作が夫婦初めての共同作業となり、二回目が弟の制作、インベーダゲームの制作は三度目にして最後の共同作業となった次第である。
今考えるとマイコンに金をつぎ込みまくっている父親が、母親も同じ道に引きずり込んで予算獲得しようという作戦だったような気がする。
アートマスターの話に戻ろう。
大仰な名前だが、機能的には今で言うWindows標準のペイントと大差ない。
しかも、ハードとOSの制約で、システムで使用できる色は16色とかしかなかった(うろ覚え)。なので、パレットからピンク色をとって丸とか描いて思い切り拡大すると、赤と白の市松模様になっていた。psiはこれにヒントを得て、ブラシ作成機能と組み合わせてパレットにない色を作成したりしたのだが、やり過ぎるとドットが不自然に目立つのでやはり限界があった。
というか、画面の解像度も低かったのでデフォルトでかなり脳内遠目補正をしてやらないと、丸を描いてもギザギザに見える始末だった。
そんなこんなの不自由さから、しばらくしてpsiは飽きて来たのだが、ふと見ると弟がギザギザがほとんど無い絵を描いていた。
なんと、人力アンチエイリアスをかけていたのだ。
psiも全く思い至らなかった訳では無いのだが、キャンバス内の全ての境界線をドットレベルに拡大してマウスで一ドットづつ中間色を置いて行くなんてとても現実的とは思えず、試してもみなかった。だが、弟の神経症じみた執着は凄まじい。開発元のシステムソフトもよもや幼稚園に入ったかどうかという男児が自社のソフトでこんなアクロバティック操法を決めているとは思っていなかったろう。
(2) 「Nifty Serveへようこそ!」
父親のPCだと、イマイチ好き勝手出来ないので、中三の時人生で初めて自分のPCを買った。折しも世間はWindows95で盛り上がっていた。
中学生の小遣いで買えるのは、FMVくらいだったが、父親のPCもいい加減古くなっていたので、FMVでもそんなに見劣りしないんじゃないかと思った。
この時プリインストールソフトがLotus1-2-3とofficeで選べたんだが、「何で一太郎が無いんだ!」と怒りながらもofficeを選んだ自分の先見性にビビる。
とは言えFMVは酷いマシンだった。というか、父親のがハイスペック過ぎたのだ。今だからわかるが、何しろ車にもゴルフにも、およそ金のかかる趣味には一顧だにせず、PCに金をつぎ込んでいるのだ。それでFMVに負けたら自分だったら泣く。
まあしかし、それを除いてもFMVは残念な子で、直ぐに調子が悪くなった。中学生的には清水ジャンプな高い金を払ったのにこの体たらくなのでムカついて家の近所にある富士通の事業所の看板を蹴飛ばした。すいません富士通。
OSリストアしたら持ち直したのだが、当時の自分にはリストアなんて大冒険だったので、父親に聞いた。
「リストアしたいねんけど」
「したらええやん」
「どないしてやんの」
「WindowsのCDあるやろ」
「ない」
「フロッピーは」
「コマンドなんとかってのは付いてた」
「それちゃう」
結局プリインストールだったのでよくわからず、「ほなお父さんの本棚にWindowsとOfficeのCDあるさかい、それつかいよし」言われた。
今考えると違法コピーです。昔のWindowsはライセンス管理がユルユルでした。
でもまあ、それぞれのPCに対してライセンス料は払ってるので勘弁してくださいMicrosoftさん。
ところで、何時の間にかOSが95にバージョンアップした訳ですが(フロッピーも二段階くらい小さくなっていた)、正直、アイコンが若干派手になった以外、なんでそんなに世間で騒がれているのかさっぱり分かりませんでした。むしろ窓のの開き方が変わってウザいとすら思いました。 FMVをショボく感じたのも、今考えると3.1にくらべてOSが重くなり過ぎたって話じゃないのか。
このあたりから「w,i,n,return!」ってやらなくてもwindowsが立ちあがるようになった気がする。
この後、単身赴任から帰ってきた父親のJCSを使うことになる。親マネーでハイスペックPC作戦がイチバン。父親はこのPCをniftyserveに繋げるようにしていたのだが、キーボードヤギの家にもPCがあってネットに繋がっているというので、「毎日手書きの長文の手紙やりとりするのをメールに置き換えればいいのではないか」と思い、父親に「電子メールしたいねんけど」と言ったら、「出来るえ。やり方は自分で調べよし」といわれた。
ところが、私はインターネットメールのつもりで聞いていたのだが、父親はパソ通の電子メールのつもりで答えており、いくら設定を調べても全然キーボードヤギにメールが出来なかった。
この時何度も何度も「niftyserveへようこそ!」とお姉さんに言われ続けたのがトラウマで、ネットワークエンジニアとなった今でも、ping通らないと脳内でアナログモデムの発呼音と共にお姉さんが「niftyserveへようこそ!」と喋ります。
この後はもうあんまり面白い話もないのでおしまい。
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