wet & dry

木曜日, 03. 13. 2014  –  Category: 未分類

 大学院のころ、指導教官とそりが悪くて軽くメンタル病んだ話はこれまでにもしたかもしれない。
 指導教官と「そりが悪」くなった原因はいくつかあるが、そのひとつが「実験方針の食い違い」だった。
 
 「実験」というと、多くの人は試験管やピペット片手に白衣で行うタイプのものを思い浮かべるだろう。私が当時行っていたのは、いわゆるコンピュータシミュレーション、大型計算機で行うタイプの「実験」で、前述の一般的な「実験」をwetとかin vivoと呼ぶのに対して、dryとかin silicoとか呼ばれている。
 最近の状況はわからないが、私が学生だった十年以上前は、バイオインフォマティックスという言葉がバズワードになり始めたころで、コンピュータでバイオをやるというと「はいはい、バイオインフォマティクスね()」と、胡散臭く見られがちだった。
 計算化学を知らないwet系の研究者達は計算理論の妥当性を評価できないので、「計算結果なんてパラメータ変えればどうとでもいじれるでしょ?」と思われていた。実際、いずれも妥当と思われる計算方法AとBを用いても、AとBの計算結果が全く異なるということはあって、そのうちの(wetの)実験結果をよく再現するほうの結果(だけ)を持ってきて「できた!」ということも、やろうと思えばやれてしまう。
 
 wetの実験であれば、正しい手順で行った結果には必ず一定以上の意味がある。実世界で、その現象/モノ/状態が存在しうるという証明になる。仮に、温度を間違えて実験して、意図していた論文には使えないデータになったとしても、別の温度条件下でそのような事象が起こるという、大げさに言えば実世界の一部を記述したデータであることには変わりはない。
 一方、dryの実験(=コンピュータシミュレーション)では、本来Aというパラメータを入れるべきところを間違えてBと入力したときの計算結果には何の意味もない。何もあらわしていないただのビットの塊である。

 このよるべなさは、それだけで精神を病みかねないレベルだったのだが、そんなことを言っていても仕方ないので、私は自分の計算のプロトコルに細心の注意を払う必要があった。
 
 まず、入力データから人為性をなるべくなくす。
 PDBに登録されている結晶構造解析データはC原子の座標のみなので、水素原子を生やすという作業が必要なのだが、モデリングソフトを使ってH原子を付与し、MM(分子力学法)を使って座標の最適化を行う。その結果得られた構造データが「正しい」(=自然界に存在する)かといわれると不明だが、少なくとも私以外の誰がやっても同じようになる。
 そのほか、分子内にあるイオンなどの距離についても各種論文を参照し、wetの実験結果に基づいた値を選択する。
 (wetの結果も研究者によって食い違ったりしているので、その場合できれば両パターン作る)
 それでも私は自分が自分に都合の良いデータを作り出す不安をぬぐえなかったので、実験の方針を下記のようにした。
 (1) 計算結果は絶対値を評価せず、相対値で評価する。
 (2) 十分な数のサンプル数を元に統計的に評価する。
 
 これが指導教官には不評だった。彼はとにかく数字を欲しがった。とにかく計算をして結果を出せと。その結果をどう評価するかなどあとで考えればいいと。(それはたぶん学生をとにかく卒業させようという善意だったのだろうと思うが)
 んなわけあるかと思いながら計算した結果は(たまたま)メチャクチャ精度高くwetの測定結果を再現していて、これを指導教官に見せたらあのオッサンはこの数字に食いついて離れなくなり、「フルペーパー書け! JACSに出せ!」と喚きだすだろう。そしたらデータの評価方法の話なんて聞く耳持たなくなる。
 彼いわく、「(wetの)実験結果をよく再現するということは、計算理論が妥当であるという証左になる」というのだが、本気かと耳を疑った。何度か自分で計算すれば、ウッカリすごく良い値が出てしまうことがあるなんて、誰でも気づく。だからこそ、どこか最適ではないパラメータが紛れ込んでいるとして、同じ条件での計算結果を比較して相対評価することで、そのパラメータの効果を相殺すべきと思うのだが。
 おそらく指導教官は、最低限ここをおさえておけば理論的にそうそう的外れにはならない、というのが経験的にわかっていて、かつ、付き合いのある研究者もみな計算化学に理解のある研究者ばかりだから、計算結果に揚げ足をとられることにあまり危機感を抱いていなかったのだろうと思う。別に何か捏造しているわけでなし、これまでずっとこれでやってきたのに、と思っただろう。私の言うことはまったく面倒くさい以外の何者でもなかったのかもしれない。
 
 しかし、「実験結果をよく再現するからこの計算が正しい」という理屈が通ると仮定して、それではいつまでたっても、計算化学は「wetの実験結果について、なぜそれがおきたのかという推論を立てるための材料」という添え物の立ち位置から脱却できないのではないか。
 アミノ酸配列しかわかっていない状態から、「これはこういう立体構造の分子です」「○○分子と反応してこういう風に構造変化を起こすので、生化学的に知られている○○反応を説明できます」「理論上、××分子とも反応できるはずなので、これを利用すれば××反応の抑制に効果があるはずです」みたいなのを計算化学単体で提唱することができるところまで持って行こうと思ったら、計算理論そのものの改善だけでは不十分で、wetの人にも納得しやすい形のデータを作らなきゃいけないんじゃないのか。
 
 研究を「まず捏造と思われないようにするにはどうすればいいか」という地点からはじめなければならない分野というのは、疲れる。FTIRのスペクトルだのHPLCの結果だのをいちいち捏造と疑われないwetの人が本当にうらやましかった。当時はそれは大問題だと思っていたけれども、サイエンスの本質ではなかった(一部ではある)し、教授連中が学生にやらせたいことでもなかったと思う。
 そして、私は研究者になることをあきらめた。
 
 今日これを書いたのには深い意味はありません。ないんだからね!
 (最近こればっかり)
 
 
 

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