ある小学校教諭の告白

日曜日, 09. 9. 2012  –  Category: Featured, ネタ

 湊かなえの「告白」という小説をご存知だろうか。
 もちろんご存知だろうとも。話題になった作品だし、ドラマだか映画だかの映像化もされた。
 だが、私は未読だ。未読だが、作品紹介は読んだ。
 とある高校教師が終業式のHRで、わが子の死の真相について語り始める、そういう始まりだ。
 それは、どうしようもなく、とある女性教諭(K先生としよう)の顔を思い浮かべさせる。

 彼女は四十歳代の始めか、あるいは私が子供だったので年を取っているように感じただけで、もう少し若かったのかもしれない。特別優しかったわけでも、児童にウケる授業をするわけでもないのに、なぜか児童全員から慕われていた。K先生を嫌いだという同級生は見たことがなかった。
 私の通っていた小学校は教育実験校だったので、ゲーム仕立ての算数の授業など、変わった授業には事欠かなかったが、K先生の担当する理科の授業は教科書に沿ったまっとうなものだった。それに、若い教諭にはことさらにフランクな態度を装って子供に媚びる者もいたが、彼女はそういったそぶりも見せなかった。特別厳しくもなく、特別優しくもなかった。
 今考えると、それが彼女が好かれた原因かもしれない。大人が人気取りをしようとするイヤな臭いを、子供は敏感に感じ取る。

 私が五年生の頃だっただろうか、彼女が突然学校を辞めることになった。
 子供達は当然皆残念がって、理由を知りたがった。一時的な転任や産休などであればまた戻ってくることもあるかもしれない(例えそうだとして、その頃には自分達は卒業しているというのは、思い至らなかった)。だが、理由はその何れでもないということだった。
 小学生には、転任、結婚、出産以外で学校を去る理由というのが全く想像つかず、納得のいかない気持ちがあったが、とにかくお別れ会をしようということになった。
 最後の理科の授業の枠だったか、ロングホームルームの枠だったか、記憶が定かではないが、とにかく一コマの時間を使って、お別れ会をやった。いつも先生を困らせている悪ガキ連中が先頭に立って、企画やプレゼント(ドッジボールに皆でメッセージを書いて贈ろう! と、勝手に学校の備品をプレゼントしようとしていたのはどうかと思う)の準備をした。
 他人事のように書いてきたが、私もこの先生のことが学校で一番好きだった。
 なので、お別れ会の指揮権を悪ガキ連中に取られ悔しく思い、K先生に自分なりの感謝や惜別の思いを伝えるために、お菓子を作ってプレゼントすることにして、お別れ会の当日に持っていった。

 お別れ会は滞りなく進み、途中辞職の理由を追求されて先生が少々困ったような顔をする場面もあったものの、プレゼントを贈り、お別れの挨拶をした。
 するとK先生は感激した様子で、「あなた達には困らせられたこともあったけれども、みんな大切で大好きな生徒です。私のためにこのような心遣いをしてくれて大変嬉しく、あなた達がこのような優しい心を持った子であることを誇りに思うと同時に、この学校であなた達と出会い、一緒に授業をすることができたことを幸せに思います」みたいな感じの、まあよくあるといえば、よくある話をした。
 そこでわーって拍手をして終わりかと思いきや、K先生は話をそこで終わりにするか迷った様子を見せて、短い沈黙の後、「……それが、私が先生を辞める理由です」と言った。

 子供たちは全員ぽかーんとして、それでもK先生の言葉に耳を傾けた。
 K先生は「本当はこんな話はするべきではないと思っていたんですが」と前置きして、沈んだ様子で、彼女の長男が数ヶ月前に学校のプールの事故で亡くなった話をした。
 だが、その失意が辞職の原因ではなく、最初は辞めるつもりはなかったという。
 実際、児童は誰もK先生の様子の変化に気づかなかった。きっと、数日は仕事を休んだだろうし、そのうち、理科の授業があった日も一日くらいはあって、授業が休みになったりしたはずだが、全く気にした記憶がない。学校で一番好きな先生とか言っておいて情けない話である。
 事故からしばらく経って、プールでK先生の長男を突き飛ばした児童がいることが漏れ伝わってきた。突き飛ばしたといっても、それでプールに落ちたからといって普通は死ぬようなものではなく、先生の長男が事故死であることには代わりはない。
「その子が特別悪い子ってわけではないんです。長男を酷く傷つけるつもりも、ましてや殺すつもりなんてなかった。長男が死んだことでその子はショックを受けているようですし、それでこの話も広まらないように秘密にされていました。
 でも、長男がちょっと苦しんだり、困ったりするのを見てやろうと思う程度の悪意はあったんです。長男がその子にからかわれて、小突かれたりと言った程度のことは普段からあったようです。でも長男は気にしていないようでしたし、強く言い返せば止める程度のものだったので、私も下手に手を出さないほうが良いと考えていました。
 だから、私はその子を責めるつもりはありません。たとえ多少の悪意を持って行った行為の結果だとしても、直接の原因ではないし、その悪意自体も、子供にはよくある、想像力の欠如から生じる無邪気な種類のものだからです」
 私は少し嫌な感じがした。他にも、同じように感じている児童がいるようだった。
「誰にもお前のせいだと泣き喚いて殴りかかることが出来ない分、私はどうしてもその『無邪気な悪意』というものを恨めしく思わずにはいられません。
 だから、そういう『無邪気な悪意』を備えているものとしてあらわされる子どもと、こうして私を慕ってくれる心優しいあなた方が、同じ『子ども』という生き物であることが、上手く自分の中で整理できないんです」
 私達は愕然とした。中には「先生がお子さんを亡くしてかわいそう」とか言って泣いている的外れなアホ女子もいたが、他の児童、特に悪ガキ連中はショックを受けていた。
 つまりはK先生は私達が彼女の長男を殺したのと同じ生き物であるにも関わらず、自分を慕い、好意を向けてくるから混乱する、意味が分からない、だから教師を続けられないと、そう言っているわけだ。
 そのときの気分をどう表したらいいだろうか。長年焦がれ続けた女に告白したら、あなたは私の恋人を殺した仇なので、一生あなたに対する憎しみが消えることはないといわれた感じだろうか。
 すこし変な雰囲気のままお別れ会は終わった。

 お前達は自分の息子を殺したのと同じ「子ども」という生き物である、と、そこまで言われて、これ以上何かしたり言ったりするのは余計なこと以外の何者でもないとは分かっていたが、私はどうしてもK先生に、自分達は先生の息子を殺したりしないと、自分達を『無邪気な悪意』と結びつけてポジティブな思い出まで思い出したくなくしてしまうことは止めて欲しいと言いたかった。
(※ 後に私達は『無邪気な悪意』そのものもしくはもっと悪質な何かであることが判明するのだがそれはまた別の話)
 それで、用意していたお菓子を放課後、K先生が学校を出て行くというときに手渡した。別に息子がどうこうとか、そういうことは何も言わず、ありがとうございましたとかお世話になりましたとかそんな程度のことだけ伝えたと思う。
 K先生は半泣きで、ごめんなさいと繰り返し、最後にありがとうと言った。
 それで、この人は子どもは残酷なものだと言いながら、最後にはやはり優しさや好意が子どもの本質だと信じたいのだと分かった。
 ならば今すぐは無理だとしても、このまま事故の子のことと一緒に私達のことまで、嫌なことの箱の中に入れられて蓋をされてしまうことはないだろうと、私は安心した。

 いま、K先生は子どもの本質は悪意だと思っているのだろうか。それとも、優しさだと信じているだろうか。

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