プラダを着た悪魔

月曜日, 01. 4. 2010  –  Category: Review

プラダを着た悪魔 (特別編) [DVD] プラダを着た悪魔 (特別編) [DVD]

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 ミランダのモデルはVOGUEのアナ・ウィンターってことになっているみたいだが、psi的にはELLEのケイト・ランフィアのプラチナブロンドの印象も結構かぶる。
 ミランダ=メリル・ストリープは全編美しくてかっこいい。特に最後の「何百万人もの人があこがれる仕事よ」のセリフがいい。孤高。しかしそのあとにアンディーがミランダの下を去った意味がわからない。
 いや、意図しているところはわかるんだけど、違うだろう。
 ネイトとの別れのシーンも、途中までは「誕生日のことや残業のことは謝るわよ!」とか逆切れしているアンディーにネイトが「やれやれ、こいつなんもわかってねぇ」みたいなあきれ顔だったので、「そうだ!その通りだ!別に『仕事と私とどっちが大事なの!?』みたいなウザいことを言いたいんじゃねぇよ。残業も仕事のパーティーも、抜けようとすれば抜けられたし、放り投げられなかったわけじゃない。そうしたときのリスクと恋人を放置することをはかりにかけて自分でそっちの道(仕事)を選んだくせに、口を開けば『仕方なかった、私のせいじゃない』って他人のせいにするのがイラつくんだよ!」と激しく同意モードだったのですが、その後ネイトが普通に「別れよう」みたいになってて肩すかしでした。なんじゃ。説教の一発も喰らわせろよこの女に。
 アン・ハサウェイも可愛かったですけど、一番好きなのはエミリーですね。
 女子オフィスものって、意地悪な同僚とか先輩とか上司とか出てくるけど、あれってしょぼくれた会社のお茶汲み派遣OLならいざ知らず、大企業総合職とかの設定でも普通にいていつもすごく白ける。そんな(ひがな一日いじめとかしている)しょうもない人間がまともに仕事こなせるはずがない。そんな人間がいつまでも首にならずに居座っているとはあまり思えない。まあ、もちろんたまにはそういう人もいるだろうけど、大量発生していたり、周りの人から「いい年こいてイジメとか痛すぎだろwwwそんなヒマあったら仕事すれwww」みたいに思われたりとかが全然ないのがリアリティない。
 そりゃ、人間だからそれなりにひがんだり逆恨みしたりするだろう。そのあたりのバランスがエミリーは絶妙によかった。リアリティがあった。「伊達にRUNWAYの編集長のアシスタントしてるわけじゃないな」って納得できるだけのものがあった。あと、赤毛にパンク化粧ってのもありがち(笑)。モードとパンクの区別がいまいちついてないんだろうな。アギネスとかすきなんだぜ、きっと(笑)
 エミリーのリアルさに比べて、アンディーの変身はやっぱりファンタジーだ。
 一流のスタイリストが一流のデザイナーの服を選んで一流のメイクアップアーティストにメイクをしてもらうなんて、世の中の女性のシンデレラ願望をがっちりとつかむ演出として悪くないんだが、仕事のせいで私生活がぶっ壊れているミランダやエミリーと対比して、結局は地に足のついた「仕事よりも大切なものってあるよね?」なアンディーを書こうとしている以上、ここの変身過程はいくらファンタジーとはいえもう一言くらい何かあってもよかったのではないか。
 出勤風景からして変わっていたので、家にもデザイナーズの服をいっぱい置いているんだろう。メイク用品も置いているんだろう。髪の毛はストレートにしちゃったから、毎日のお手入れ時間は格段に増えているはずだ。ネイルは自分でやってないのかもしれないけど、それでもサロンに行く時間がかかる。ヒールローファーで出勤していた人が急にハイヒールで出勤するとどうなるか。ヒールはすぐに道のタイルの溝にハマる。はまらないよう、常時足元に気をつけながら歩く必要がある。ヒールローファーよりも靴ずれはできるしふくらはぎへの負担も大きいから、家に帰ってからのフットケアも欠かせない。キャラ的にアンディーはジャーナリストとしての修練を欠かさざるべく仕事終わった後に勉強とかしてそうだが、変身後はとてもじゃないがそんな時間は取れないはずだ。
 つまり、ちょっとスタイリストの協力が得られたからと言って変わるようなものではないのだ。本人のライフスタイルや価値観を根底から変える必要がある。おそらく、大学院出のインテリで、別に非モテってわけでもなくそれなりにヒップな友達もいたら、それ以上見た目に手間と暇を掛ける意味がわからないだろう。そこの価値観を変えて、自己暗示でもいい、「この足のマッサージを続ければ私の人生バラ色になる!」みたいに信じられなければ、だれがそんな七面倒くさいことをやるというのだ。しかしなまじ教養とかあって自己分析ができてしまう人間はそれ(自己暗示)ができない。「そんなヒールが溝にハマらないように神経とがらせるくらいならちょっとでも仕事のこととか家事のこととか気をつけるのに気力を回したほうがよくね?」とコスト計算してしまう。そこが変身に伴ういちばんたいへんなところのはずなのに。
 製作者(監督とか、脚本とか)がそこに気づいていないはずはない。自分だって通った道のはずなのだ。一週間の合計睡眠時間が10時間もとれない状況で、それでも化粧をして現場に行くのか、それともすっぴんでヘアターバンしていくのかの折り合いをどこでつけるのか。それまで「すっぴんで仕事に行くなんてとんでもない!」と思ってた人でも信念を変えざるを得ないときがあっただろうし、逆にアートスクールでスタジオに泊まり込んでパジャマみたいなカッコでウロウロしていた学生時代を過ごした人でも、「別に化粧したからといって作品がよくなるってわけじゃないとしても、身なりをきちんとしたりするのが社会人てもんなのかも」って実感する時が来たりとか。だから、これはそういうの全部わかってて、ちょっとドリームを楽しみたい人たち向けの娯楽作品なのか、「どうせ能天気スイーツにはそんな葛藤が存在することなど想像もつかないべ」と客をバカにして作られた映画なのか、どちらかだ。

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