胡散臭さという魅力

日曜日, 09. 25. 2005  –  Category: 日常

昨日、学生時代に関わっていた某学生団体のOB飲みというのに行って来ました。
どういう団体かというと平たく言うと理系の大学生・大学院生によってアントレプレナーシップの醸成を目的に組織された団体で、会計とか知財系の勉強会をしたり、技術的な情報交換とか人脈作りとかが活動の主体でしたね。


文系のサークルでもよく似たようなのがあるんですが、まあ、実態はインカレのイベントサークルみたいな感じなのに、企業訪問とかやってなんちゃって社会人ごっこをやってるだけ、あくまで”ごっこ”なのにそれでなんか視野が広がったような気になってるイタい人たち、というイメージがあったので、この学生団体に関してもそれが理系になっただけ、技術的な基盤があるし、理系には真面目な人が多いので文系のそれに比べれば若干地に足はついてるのかなという程度に思ってました。創設者の先輩には悪いけど。
実際的な問題として、青色発光ダイオードの中村氏の事件とか、独立行政法人化とかいろいろな社会的背景もあって、理系の研究者が単純に研究だけしていればいい時代は終焉を迎えつつあって、実際に起業する/しないは別として会計とか知財の知識は常識として必要になってくるのかなーという意識はあったし、その面で学生のレベルの底上げをするという意味では有意義な活動だとは認めていました。
ただやっぱりその前に下っぱとはいえ編集・広告・コンサル・シンクタンクとかに関わる業界でバイトしていたので胡散臭い人は山ほど見てきたし(笑)、そのバイト先自体、広告代理店&シンクタンクからスピンアウトして作ったSOHOだったっていう背景から起業ってものに対してある程度現実感を持って見れていたっていうのもあって、どうもMBAだのベンチャーだのってギャーギャー騒がれると胡散臭さが先に立ってしまうというか。
そういうわけで関わっていたといっても実際の活動にはほとんどタッチしていなくて、ウェブサイトを作ったり、興味の有りそうな(かつ優秀そうな)知り合いがいれば紹介してあげるという程度だったのですが、創設者が私の直接の先輩だったこともあって、結構当時のコアメンバーとはよくお付き合いさせてもらっていました。
団体としてみてしまうと胡散臭いんですが、メンバーの方々はみんな研究者としてはもちろん、行動力や色々な面を総合して非常に「デキる」人たちばかりなので非常に刺激になったし(もちろん、組織が大きくなってくると必ずしもそうは行かず、ただ単に胡散臭いだけのひとも沢山出てきましたがw)、そういう凄い人たちがいるって知れただけでも関われてよかったとは思っています。
で、昨日のはその旧コアメンバーの一人が現在スタンフォード(ベンチャー大量生産所としても名高い大学ですね)で研究してるんですが、一時帰国したので色々話でも聞こうじゃないかという話になったわけです。
その人は研究室が隣で、研究のこととか、コンピュータのこととか色々教えてもらって個人的にもお世話になっていたので是非会いたいなと思って勇気を出して参加しました。
勇気を出して、というのも、行ったら絶対ヘコむなというのは自分でも分かっていて、就職活動を始めてから実際入社するまでの間、アカデミックから遠ざかることに対する自分の中での諦めをつけるのにかなり苦労したので、スタンフォードで活躍している話とか、たぶんその場に集まるであろう「デキる」人たちの近況とか聞いたら絶対その未練が首をもたげてくるだろうと思ったからです。
現在は別にもうアカデミックに戻ろうともあまり思わないし、しがないサラリーマン生活の中にも、アカデミックの高尚さには及ばないにしろ、身の丈にあったやりがいを感じないわけでもないですし、自分にはそれ以外選択できなかったのだと納得してもいます。それを今更揺るがされたくないなぁという気持ちは大いにありました。
実際行ったらやっぱりみんな凄い胡散臭くて(笑)、熱く野望を語っていて、実際起業していたり、そして技術的な話には全くついていけず、「psiさんは凄いものをもってるんだから自分の持っているものを大切にしたほうがいいよ! 絶対どこかで生かしたほうがいいよ! 世界でマスターってあんまり重視されてないけど、日本のだけは特別だから!(←海外の修士は自分で研究しなくても取れますが、日本は自分の研究をもってないと修士をとれません)」とか言われてうっかりその気にならないように気をつけねばなりませんでした。「ひとつチャレンジングなことを始めるときは凄い不安だし、なにも頼るものが無いし、分からないことだらけなんだけど、それを乗り越えるともうそれが普通になるんだよね。でもそのときにはまた新たに分からないことが出来てるんだ。日本の次はアメリカ、アメリカの次は世界、ってね!」別に海外とか行きたくないし。行きたくないのにそんな風に言われると自分もアカデミックで身を立てられたのかもしれないという錯覚に陥りそうになります。それがどう足掻いても無理だと思ったから今の道にいるのにね。そう錯覚させる熱さが彼らの言葉にはあるんです。いくら胡散臭いと思っていてもそういう風に思わせるのが胡散臭さの持つ魅力なのかなと。
堀江社長とかそれの最たるものだと思うんですよね。360度どっからみても胡散臭い以外の何者でもないのに、あれだけ注目を集めてしまう。
やっぱり胡散臭さにはそれ自体になにか求心的な力があるんだと思います。
そういう胡散臭さをドライビングフォースに生きていける人、というかそういう生き方にしか生きがいを感じられない人種というのが確かに存在するのだと思います。
私はきっと学生時代人に頼る努力とか行動力が足りなかったってのはあるけど、多分そこまでの情熱をもてなかったってことだろうし、胡散臭い野望を見据えて生きるやり方は私の身の丈にあってなかったってことなんだと思います。
会社でキャリアプランとか聞かれても別に特に無くていつも困るんですけど、本当に別に出世したいとか独立したいとか全然なくて、昔はエディトリアルデザイナーとか写真家とか研究者として生きる自分に多少なりと夢を抱けたんですけど、今は別にずっと今の会社で働きたいとも思わないし、かといって辞めたいとも思わないし。
確率からいったら多分このまま地道に仕事してたら気づいたら10年経ってたとかそういうことになるんだろうなとは思うんですが。
確率とか無視して言えっていわれたら夢とか特に無くて、‥‥でもまあ、小説家になれたらいいなとか思ったりもします。でも、文章に対する執着心とか努力とか、仕事にするには圧倒的に足りないと思うし、なろうという気もあんまりありません。
もうひとつ道があるとしたら、別にやりたいってわけじゃないですけど、旦那の事務所を手伝うってのはありうるかなと思ってます。まあ、それにしろ、奴の仕事が軌道に乗って、独立してやる仕事ってものがどういうものが十分に分かってからですね。でないと私が手伝ってもそのありがたみを想像するということを知らない奴だし、私が手伝った分の余力をクリエイティブに回すということを忘れてただ単に甘えるに違いないから。こんなことを私が考えてるなんて奴は知らないだろうけど。
胡散臭い仕事をするのは旦那だけで十分です。

2 Responses to “胡散臭さという魅力”

  1. diver Says:

    あれは一種の麻薬です

  2. psi Says:

    ホリエモンが懲りずにアホなことを繰り返すのは禁断症状ですか

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