雲の向こう、約束の場所

金曜日, 01. 7. 2005  –  Category: Review

あけましておめでとうございます。
正月休みの最終日、1/3に「雲の向こう、約束の場所」を観てきました。


妄想少女、妄想世界、妄想恋愛。
描かれている学校や街並みのディテールが非常に作りこんであるにも関わらず、どこか現実から剥離した印象を与えるのと同じように、ヒロインや、ヒロインと主人公二人の恋の形もホンのちょっとした仕草やエピソードがやけに丁寧でリアルな割には全体としてみるとやっぱりヒロインは妄想上の少女でしかなく、中学生男子が抱きうる恋愛感情としては余りにウソが多すぎる。
そうだな、ちょうど思い出の中から綺麗な部分だけ取り出して作ったような。
そんな空々しさを助長するのが 「サユリを救うのか、それとも世界を救うのか」という自己拡大プロット。「世界の中心で愛を叫ぶ」とか村上春樹の一連の小説とかもそうだけど、極めて個人的な問題(自我の問題や恋愛など)を「世界」などという単語を並べ立てることであたかも普遍的な問題であるかのように巧妙にすり替える手法。確かにひとつの手法として有効だとは思うけど、無自覚にそれに騙されている観客を見るのがイヤ。
しかも、「ほしのこえ」で私が気に入っていたメカや戦闘シーンの描写はほとんどなかったのも不満。ベラシーラ最後の数分しか飛んでねぇじゃん!
……とまあ、メタクソに言ってみたわけですが、新海誠の作品にはこういう空々しさに対して寛容にさせる力があるように思います。
それはちょうど宮崎駿のアニメを見て「今時こんな素直な子どもいねーよ!」とか突っ込む人がいないのと同じように。そういう意味ではどっかの映画評で「ポスト宮崎」とかいってたのもまあ、あながち外れてもないのかなとは思いますがでもやっぱり新海誠作品は二次元世界の妄想恋愛しかできないヲタのための作品の気がします。そういうヲタ臭も含め、私は結構この作品楽しみました。別に文芸作品じゃなし、エンターテイメントだと思えばこのくらいウソくさい方がインパクトあっていいってもんです。
でも実際は気に食わないところを補って余りある萌えポイントがあったからですが…
すなわち、冨澤センセイ!(CV:井上和彦)
キャー! ちょっと疲れた風貌がステキ! 
もう1時間ずっと学会のシーンでいいです。もっとしゃべってください。
あー、みんなあんなステキ御声のセンセイの発表だったら学会も楽しいのに。
東大で軍の研究報告会やってるのは軍学連携!? とか位相変換の研究になぜ脂質二重膜の分子動力学計算が!? とか突っ込みたいところはあったけど、冨澤センセイスーツだし!(そこか)
タクヤは普通にカッコいい役だったので敢えて萌えませんでしたが。もう少し鬼畜キャラ強めにして年上のおねいさん(マキ)を一瞬で落として貢がせるなどすると良かったのですが。腐女子的にはさらにトウキョウから帰ってきたヒロキがそれをみて「オレのいない間に女なんてつくりやがって…!」みたいな展開になるとよろしげかと思われました。ベラシーラの足元でバイオリン弾いてるヒロキとタクヤはカトル&トロワ@東屋を思い出しました(苦笑)

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