酔った状態でブログを書く、みたいな企画があった気がするんですが、私は酔っても多分あまり変わらないと思います。若干ユルくなる程度で。
これ以上酔うと更新する気力すら萎えてベッド(は今なくて、ロフトにマットレス+敷きパッドなわけですが…)に直行ですから…
なんでほろ酔いかというと、忘年会でもなんでもなく、地元のずっと気になっていた和食屋に一人でご飯を食べに行ったんでした。
これが大当たり。
料理が美味いのはもちろん、ご主人も一人客に対しつかず離れずのよい接客で、これから懐が許す限り通おうかなと。
おかげでオススメの焼酎とか教えてもらって一人で飲んでました。
今日はコニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」を買いました。
先週本屋でウィリスの「航路」が文庫化されているのを見つけ、サラ・ウォータースの「荊の城」と迷った挙句(彼女の「半身」はなかなか面白かったです)、「航路」を買ったんですが、これがもう凄かった!
「航路」はハードカバーが発売されたとき凄く欲しくてしょうがなかったんですが、1巻が分厚くて、その上ありえない程高かったので、とても上下巻そろえる勇気がなく、買えなかったのですが、ハードカバーでも買っておくべきだったと激しく後悔しました。
とにかく、構成力があるのはもちろん、登場人物のキャラクターがキュートだったりチャーミングだったりもうそんじょそこらのキャラクター小説と呼ばれているものと比べても遜色ない上に、膨大な資料に裏付けられた説得力ある描写力と、2重3重に張り巡らされた伏線とメタファーの嵐。
「真実の行方」の時も書きましたが、優れた伏線というのは執筆者の立場から読むとおのずから先が読めるように出来ています。
たとえば探偵物で、主人公の探偵が大のカレー好きでカレーに関する描写がそこかしこに出てくる。事件には全く関係ないように思えるのだけど、あるとき主人公があるカレー屋に入って主人にカレーのスパイスに関する薀蓄を聞かされ、それが最後の最後でトリックの謎解きに大いに関わってくる、みたいなのは、事件に関係ないカレーの描写がたくさん出てきた時点で、「あ、これはトリックに絡んでるんだな」と分かるわけです。もしそれが事件に何のかかわりもなく単純に主人公のキャラクター説明のためだけに存在したなら物足りなさを感じるだろうし、カレーの話が出てきたときに明らかに事件に関係していることがわかるような形だったら「主人公がカレー好き」というのはトリックのためだけに存在していると認識されてしまい主人公の性格を魅力的に見せるためには全く役に立たないどころか興ざめしてしまうだけになってしまいます。つまり伏線は出てきた時点では完全に事件とは関係ないように見えて、しかしその「関係なさそう」である一点において「伏線である」ことがわかってしまうという矛盾した構造をかかえているのですが、文章力のある作家にかかれば、「伏線である」ことがわかってもそれは読み進めるモチベーションに変わってしまうのです。
まあ、「航路」における全ての伏線はこのパターンを踏襲しているといっていいと思います。全体的な結末は中盤くらいには大体予想がついているのですが、それでも下巻を読んでいるうちに3回は本を持つ手が震えました。
それは感動であったり、圧倒的な描写力や構成力に打ち震えたのであったり。
解説に「再読をすすめる」と書いてあったので、初読のときは「ページをめくるのももどかし」く、読み流していた病院内での追走劇もきちんと地図を描いてアレの内部と照合しながら読みたいと思います。(多分ぴったり一致すると読んでます)
「犬は勘定にいれません」の姉妹編であるという「ドゥームズデイ・ブック」も、地元もショボ本屋には売ってなかったので今度PBCに行ったときに買い求めようと思います。
明日は有給休暇のはずでしたが事務処理をしにオフィスに顔をださねばならない予感です。漫画祭りとか言ってる場合じゃありませんでした。でも30日は行きます。カタログ買っちゃったし。ではでは。