愚者に聖痕 ―PSYCHO-PASS 1/2比較―

水曜日, 12. 24. 2014  –  Category: Featured, Review, ネタ

PSYCHO-PASS

 「愚者に聖痕」タイプの話が好きだ。
 愚かしいまでの正論、綺麗事、理想論にこだわり続ける「愚者」がいて、周囲は「じゃあオマエは1km先まで見渡せる田舎の一本道で、一時間変わらない赤信号を待ち続けるのか」と迷惑がったり蔑んだりするんだけど、あるとき綺麗事で片付かないのはもちろん、どんな汚い手を使ってもにっちもさっちも行かない状況に直面して、皆が絶望する中、「愚者」は「それでも」正論を信じ続け、最終的にそこに活路が開ける、というようなタイプの話。
 田舎の一本道の例えで言うなら、どうしても向こうに渡らないといけないんだけど、車が殆ど車間距離ゼロで次から次へと高速で走っていて、車も止まったら危ないから横断歩道の信号が青になっても止まってくれない。みたいな状況。
 「愚者に聖痕」タイプの話だと、例えばこんな展開はどうか。
 「愚者」はこれまでどんな些細な悪いこともルール違反もしてこなかった。食生活も生活習慣も健康そのものだったので、保険会社が彼のあらゆるリスクレートを過去最低に設定した。これは、もし彼に何かあって本当に保険金を支払うことになったら保険会社が傾きかねない金額になることを意味していた。
「だから、青信号になったらまず僕が横断歩道を渡るよ。もし、というか多分車に轢かれるけれども、そしたら僕の生命反応をテレメートしている保険会社のシステムが現場保全のために自動で周囲の車のエマージェンシーシステムを起動するはずだ。その間に、君たちが渡ればいいよ」
 ……みたいな感じだ。
 上では、自己犠牲が入ってしまったので聖性の話とややこしくなったけど、今回自己犠牲は無くて良い。とにかく、通常は迷惑でしかない愚直さが、最後の大ピンチにおいてはその愚直さ故に活路を開くことが出来るという類型だ。
 大きく分類すればP4なんかもこれに含まれるし、他にも幾つかあるけど、これを上手く着地させるのは結構難しくて、最初から「愚者」を肯定的に描くと説教臭いだけで胸糞悪いし、「愚者」は一度「正論」ではどうにもならないということを嫌というほど思い知らなければならなくて、その上で「それでも」正論を信じ続けなくては、ただの頭がお花畑の人になってしまう。そこを説得力を持って描かなくてはならない。
 で、サイコパス1と2。これはいずれも「愚者に聖痕」タイプの話ではあります。法や社会システム(シビュラ)で裁けない存在をどうやって裁くのか。あるいは裁かないのか。シビュラは己に取り込むことを選択し、狡噛は法の外で裁くことを選択する中、常守は最後まで法で裁くことにこだわり続ける。
 ただ、1では結局槇島は狡噛に殺され、法で裁くことはできていないし、仮に生け捕りに出来たとして、シビュラに槇島を裁かせる見通しは立っていなかったので、「愚者」として弱かった。また、アニメーションとして終盤狡噛と槇島の対立がフィーチャーされたせいで「愚者」が主軸の話という構造が見えにくくなった。これは虚淵氏がしくったという話ではなくて、「愚者に聖痕」タイプの話は虚淵さんにとって「大どんでん返しシナリオ」手札のうちの一つでしかなくて、別に愚者に勝って欲しいと思っているわけではない、っていうかどっちかって言うと聖痕どころか首がモゲたりブラッドバスになってほしいと思っているからだと思う。
 2ではそこの所が焦点が絞られていて綺麗に整理されていたので「愚者に聖痕」話としては完成度が高くなっていたと思う。逆に「愚者に聖痕」話として必要な要素以外はあんまり上手くなかったので、キャラクター漫画的な側面を求めている人には2は物足りなかったのではないかと思う。

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