Tangled up in blue

木曜日, 04. 20. 2006  –  Category: 日常

どうでもいいですが、firefoxのバージョンを上げたらspace ALCの検索プラグインがなくなっていて、プラグインサイトを探し回ったけど見つからない。”tangle”のスペルが”tungle”だったかもと思って調べようと思ったのに、不便極まりない。
さて、今日は大ちゃんの命日です。
自分的に一番落ち込む日は4/6ですが、やっぱり4/20までは大ちゃんは生きていたのだと思いたいし、あの時、私も大ちゃんは復活するのだと、最悪、レースが出来ない体になってしまったとしても、生き延びるのだと(もちろん、大ちゃんにとってはレースが出来ないことは死ぬよりも辛いことかもしれませんが)、そういう希望にすがり付こうとしていたと思います。だから、心無い書き込みも沢山あるであろうことを承知の上で少しでもリアルタイムに関係者の情報が欲しくて2週間2chに張り付いてリロードを繰り返していました。
ところで、94-96年にかけてオルタナティブミュージックやF1に傾倒していた私にとって、カートの死やセナの死というのは一種のなんというか‥‥試金石のようなものに感じられていました。
私はカートの死もセナの死も、完全にその世界に入る前に起こった出来事だったので、その死の上に構築されるその後の世界というものに、本当の意味ではコミットしていないのだ、あるいは周囲からそう見なされないのだという感覚が常に付きまとっていました。
その後、好きだったミュージシャンが亡くなるということも何度かありましたが、SJMのむっつんもフィッシュマンズの佐藤さんもライブに行ったことがなかったので、なにか突然インターネット上でお知らせされただけで自分のヒーロー/ヒロインが失われたのだという実感がわかなかったし、ロブの死はシャーラタの音楽からあのハモンドがもう聴けないのかという意味では凄くショックで、リアリティもあったけれども、やっぱり私にとってあくまでシャーラタはティムのバンドというのがあったし、シャーラタ自体、偉大なバンドではあるけれど、UKロックのアイコンとまでは言えないので、シャーラタがどうにかなってしまったところで、UKロックの今後が大きく変わるというものでもなかった。
でも、大ちゃんは違う。
私が大ちゃんを応援し始めたのは全日本の時からだけど、多分その前から、閃光のように上り詰めてきた。
それまでF1を見ていた私にとって、全日本からワイルドカードで出場した選手がいきなりWGPで表彰台に上るなんて有り得ないことだったのです。(F3000の選手がいきなりF1の表彰台上がれるか? トップチームのシートを与えられない限り絶対無理。)
その後も一時的なスランプはあれども、着実にステップアップして、ついにmotoGPへ。
F1と違って日本人選手が強いロードレース界ではあるものの、いまだ500ccクラスでのワールドチャンピォンは出ていない。その、最初の一人になるはずの選手だった。いや、誇張抜きで。
だから、大ちゃんの死によって、明らかにmotoGP、いや、WGP界全体が影響を受けた。
だからね、大ちゃんが病院で死と戦ってる間、不謹慎にもチラリとそんなことが頭を掠めたんですよ。
これでコミットできる、って。
本当に、そんなことで大ちゃんの生死がどうなったはずもないんだけど、でもものすごく大ちゃんや、そしてそれ以上に残された奥さんや子供に申し訳ない。
その罪悪感から、「追悼 加藤大治郎」系の特集だのイベントなどには参加しづらかった。そういう追悼している一人なのだと、偉大なレーサーを惜しんでいる一人なのだという仲間意識を持つことがおこがましく思えた。そういう仲間意識をこそ、ずっとカートやセナの死に対して抱きたいと願っていたのだけれど、実際そうなってみると、とてもそんな気にはなれなかった。青山のホンダルームで献花しながら、「ごめんなさい」と謝った。
たぶん、こういうのは私の自慰的な感傷であって、自意識過剰のなせる業なのだと思います。周りから見ても不快だろうし、大ちゃんも自分の死によって誰かがネガティブになることなんて望んでいないでしょう。
そういうことは頭では分かっているのです。だから、周りには気取られないようにしていた。でも、誰か一人くらいそういうのを許容してくれる人が居たっていいと思うのは我侭か?
まあ、3年も前のことですが、最近あのときの事をよく思い出すのです。

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