他にも色々読んでるし連載追っかけ続けてる殿堂入りとかもあるけど、とりあえず
日本近現代もの
- 日に流れて橋に行く/日高ショーコ
- ながたんと青と-いちかの料理帖-/磯谷友紀
- 曙橋三叉路白鳳喫茶室にて/高尾滋
近年、日本の近現代ものがぐっとくる。
「曙橋〜」は高尾滋だから読んでる説は否めないが……
「日に流れて〜」は立身出世物語とか女性の自立を描いた云々とかの読み方もできるけど、どっちかと言うと日本の近現代を描こうとすると女性の社会進出を描かずにはリアリティが出せないみたいな話ではないかと思う。
「ながたんと〜」でも初っ端からいちかが女であることによる云々の話は出てくるし物語を通じて決して小さくはないテーマの一つではあるが、それが第一のテーマではない。
psiが刺さってるのはそこではなくて、日常をちゃんと丁寧に生きることが、当然のこととして描かれてるところだ。
現代の特にネットでは「丁寧な暮らし(笑)」みたいに扱われがちだし、psi自身、よくわからない窮屈な生活習慣とかしきたりとかから自由になりたいと思い続けて生きてきた。
時代の空気もそれを後押しして、正月準備が大変なら24時間コンビニ開ければいいじゃん、盆暮正月に一斉に帰省したら混雑えぐいから分散しようぜみたいになって、因習に縛られずに合理的に自由に生きるのがロールモデル、みたいな面もある。
じゃあそこを目指した人がみな自律的に自由に生きられてるかというとそんなことはなく、承認欲求を拗らせたり共依存に陥ったりしているわけだ。
もちろん、「年寄りがしきたりとかマナーにうるさいから」みたいな理由で守られている丁寧さにはなんの意味もないし、ましてやマナーだしきたりだを知っていること自体に恃んで、自らが上等な人間であると思い込もうとしたり他人に認めさせようとしているタイプがしょうもないことはもちろんなんだが、毎年、季節の飾りを出したり仕舞ったり、お墓参りに行ったり、お風呂にゆずを浮かべたり新年には新品の服をおろして袖を通したり、それをやったからといって何か直接いいことがあるわけではないし、やらなかったからといってなんのデメリットもない、そういうクソ面倒くさいことをそれでもやりつづけることは、自分の上位に文化とか暦とか歴史とかそういうものを位置付けて、自分の存在とか生活がそれに司られると信じることだ。
それって宗教じゃん。
そう、仏壇に毎日ご飯供えたり神職が毎日境内掃き清めてお参りするのと多分同じ。外国人が無宗教の人は怖いと言ったり、日本人でも宗教は必要だとか信じるものはあった方がいいとか言う人は多分このことを言ってる気がする。
この世の誰もあなたを愛さないとしても、あなた自身すらあなたに愛想を尽かしたとしても、毎年節分に豆を投げ、決まった時期に衣替えをし、正月は三が日終わったら七草粥を作って鏡開きしたその事実だけは残る。それは自分の存在よりも上位のレイヤーに記され、世間や他人には消すことも書き換えることもできないものだ。
つまり、こうした丁寧さは「自分を大事にする」作業でもある。
そしてまだこの先解像度を高められてないんだが、この「自分を大事にする」辺りと高付加価値経済の相関がある気がしていて、単純に「昔ながらの丁寧な暮らしに戻りましょう」が間違いなのは当然として、じゃあ何が提言できるんだ? みたいなことをぐるぐる考えている。
「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」とよく言われた中高生時代は別にアウトローする気もなかったので「なんか正論ぽいこと言ってますわ〜 ご苦労なこって(鼻ほじ)」くらいに思っていたが、自分の稼ぎを持ち、自分の城を持ち、誰一人自分の行動に口を挟まなくなった今、ようやく頭ではなく腹で理解できた感がある。
壮大な「ちょっといい話」集
- 葬送のフリーレン/山田鐘人
異世界ジャガイモ問題とか色々あるけど、フリーレンに関しては、舞台装置そのものには過剰にリソースを割かず、それをどこに置くのか、どう役者と関わらせるのかにかなり力を入れていて、そういう側面で世界設定が緻密で、ここまで土台がしっかりしているなら世界創生に関わる伝説が出てきたり、寿命という器をなくしたヒンメルがもはや魔族と同じになってしまっていて(寿命の存在が人間を人間たらしめているのだ!)魔王ヒンメルを倒す戦いが始まるとかそういう大掛かりな話になっても全然支えられるはずだが、今のところ基本はただの「ちょっといい話」集で、縦糸を通すストーリーはあるものの今後もそんな派手派手しいことにはならなそうというかならないといいなという話。
スーペリアーズ・ギルト
- ダイヤモンドの功罪/平井大橋
サバイバーズ・ギルトというのがあって、生き残ってしまった側の罪悪感みたいなやつだが、優れた能力や環境を持つものが、なぜか劣る側に劣等感や罪悪感を抱かなければならないような気になってしまうこと、それゆえに自分の能力や環境を全然喜べないこと、それを勝手にスーペリアーズ・ギルトと呼んでいる。
これに触れている作品は少ないし、触れているとしても、サブキャラクターが抱く葛藤などとして描かれているだけで、これをメインで取扱い、主人公に据えた作品はpsiの観測範囲ではなかったと思う。
(パッと思い浮かぶのはワールドトリガーの村上鋼がサイドエフェクトが原因で周囲の成長に一瞬で追いついてしまうので周りの友達が傷つき村上と一緒にプレイすることがつまらなくなったり辛くなったり、避けるようになったエピソードくらいか)
少ない理由は、「周囲よりもずば抜けて何かが優れている」キャラクターに共感して感情移入できる読者が少ないこと、その優れた能力を活かす方向の話にしてしまうとすぐ目的が達成されてしまって物語が終わってしまうからだと思われる。
この作品では、主人公を小学生にすることで、「周囲からはずば抜けているが、大人も含めた社会からみたらまだまだ上はいる」状態にしているのと、小学生ゆえにメンタルも未成熟で、自分の能力が優れていることが周囲のつらさの原因になっていることは理解しているが、同時にただ俺TUEEEEもしつつみんなで楽しくスポーツできたらこんなに嬉しいことないみたいなアンビバレントな子供らしい感情も残していて、これで話がすぐ終わってしまうのを少し先送りしているのと、あまりに読者が感情移入できないというのを防ごうとしているが、限界はあると思うので、どこへ持っていってどこへ着地させようとしているのかめちゃめちゃ注目している。
立身出世物語
- チェーザレ 破壊の創造者/惣領冬実
- 夢の雫、黄金の鳥籠/篠原千絵
- セシルの女王/こざき亜衣
休載以来チェーザレ追っかけてなかったんだけど、ようやく最終巻読んだ。
時にはダーティーな手を使いながらもぐいぐいと上り詰めていくチェーザレのキャラクターが魅力なのと、メディチの内情と合わせて描くためにアンジェロという案内役をセットしたのがこの作品の優れたところなんだけど、史実を大幅に改変するわけにはいかないから、権力闘争上は一番のクライマックスの教皇選が、チェーザレは仕込みも終わって現地から遠く離れた所領で「アンジェロたち無事かなぁ?☺️」とか言ってるだけの時間になってしまって、なんならロドリーゴとかジョヴァンニ様の方が活躍してしまっている始末で、せめてタイトル「ボルジア」とかの方がよかったのでは説はあるものの、こうした意欲作がちゃんと完結して素晴らしいと思います。
「夢の雫、黄金の鳥籠」は立身出世の時代はとうに終わって長いこと昼ドラフェーズなんだけど、自分の恩人であり一度は愛した男を、道を違ったためになんとしてでも排して自分が後宮ひいては国を掌握しようという胆力というかカリスマが話を読ませる力になっていてさすが篠原御大という趣。
Twitter(X)の釣り広告いくない
- 光が死んだ夏/モクモクれん
誰だよ「ホラー風味BL」みたいなアレで腐女子釣ろうとしたやつ。ぶっ殺すぞ。
「ヤングエースでBLが連載される時代かあ」みたいなアレに乗るのが嫌だったのでずっと読んでなかったんだけど、これ、「腐女子にかかればBLにすることも容易い」程度の話であって普通にホラーミステリーじゃねぇか。まあ、手突っ込む描写はまあまあエロティックでしたけど、ホラーの味付けとしてエロティックなサムシングがあるのはわりと一般的なのでな。
四巻に至るまでいまだ村を襲っている災厄の正体も光の正体もほとんど分かってないところがクトゥルフみがあってよき。
令和の「アリスにお願い」
- 最果てのセレナード/ひの宙子
「アリスにお願い」は言い過ぎか。
少女性と残酷性と憧れを閉鎖空間に閉じ込めると死臭がするという話。
どう畳むんかね
- 【推しの子】/赤坂アカ×横槍メンゴ
いかんせん、ミステリとしては致命的なアンチパターンを初っ端から踏み抜いており、立身出世ものとしてもルビーとアクアが芸能界で一定の成功をおさめてしまってこれ以上は前のエピソードの拡大再生産になりかねないので、ついに本丸に攻め入る必要があるとなった自伝映画編……なんだけどあのカラスの子といい、父親といい、超常現象アリならミステリもクソもないし、結局何がどうなったら勝ちなんだっけ? てなってる。
ノアの方舟的箱庭自信ニキです
- 天国大魔境/石黒正数
序盤のロードムービー感とか、滅んだ日本でのサバイバルの可能性(こんな物資が残ってる可能性があるのか、逆にこんなものの不足に悩む可能性あるのか、とか)とか面白かったんだけど、最新話に近づくにつれて、外界と隔てられた平和そうな施設が箱庭実験施設で、そこで生み出された新世界に適応するための改造人間がみたいな話になってくると、んー、その話、聞いたことあるな? となる。約ネバもそうだし、大塚英志あたりが書いてそうな気がする。清水玲子とか白泉社系のSFにも似たようなのいくつかあったよね?
なので、その辺うまいこと畳んでいただけると嬉しいなぁと思う次第です。
すあま
- プリンタニア・ニッポン/迷子
これは日常系を永遠に続けてくれても構わないし、壮大かつハードコアSFが始まってもどっちでも面白い。
現代のハーレクインの向かう先
- クイーンズ・クオリティ/最富キョウスケ
近頃じゃどのレーベルでも救われ待ちのか弱い女子像は流行らない。
かといって「強くてかっこいい少女」を矛盾なく描こうとすると、永遠に「相手役の男子がカッコ良く登場してヒロインを救ってフォーリンラブ」みたいな展開にならないという構造的欠陥がある。まあ、揺るぎないパートナーがいたり男を食っちゃ捨て食っちゃ捨てする女傑もカッコいいっちゃかっこいいが少女漫画ではないので、どこかで弱さを見せたりピンチに陥らせないといけないんだけどそれをすると「強い」「かっこいい」というキャラが崩壊する危険がある。なのでみんなあの手この手で「いくら強くてもこれは仕方ない」みたいな理由・シチュエーションを考えるんだけど、本作、それがえげつない。
主人公が最強の「女王」で、ビジュアルもスタイリッシュでカッコよくて、ヒーローとは表向きは居候先の坊っちゃんだが、裏では仕事上のパートナーで対等の力関係(「女王」として主人公は重要だが、掃除屋としての経験はヒーローの方が上)の戦友という、明らかに「一方的に助けられるだけのお花畑ゆるふわ女主人公」が好みではない層に向けた主人公なのだが、読者側にはあるであろう「そうはいってもイケメンに優しくされたい」夢女的欲求だとか、「ヒーローとくっつくんだろうが! わかってんだよオラァ! こっちは恋愛目当てで読んでんだ!」みたいな要望に応えるサービスシーンやギミックや謎設定をこれでもかとテンコ盛りにし、普通ならそんなにしたら「強いとは……?」「自立してるとは……?」ってなるところを設定と矛盾なくロジックで塗り固めて、その上記憶喪失設定とヒーローが都合のいい時だけコミュ障&鈍感系を発動設定により「じゃああああ仕方ないですよねぇええええ恋愛感情なくてもこんくらいのスキンシップしますよねしないと敵に負けちゃいますもんねぇええええええ!!!」「ええそうでしょうねこれは純粋な忠誠心からですよねええ!!!!」ってさせるすごい漫画。
ザ・白泉社
- 金色のマビノギオン ―アーサー王の妹姫―/山田南平
そらさんのオススメで読み始めたけどまだ少ししか読めてない。
ただ、友人同士ISEKAIedした三人がそれぞれの特技性質を活かして別々の方向にサヴァイブしていこうとする姿は真Ⅲ味もありつつ、巻き込まれ振り回されるだけの話は書かないザ・白泉社という感じで良き。ゆくゆく恋だ愛だのの話も出てくるだろうけど、序盤で色恋抜きでどう人間として立ち回るかの魂を見せつけておくからこそ活きるのじゃ
時事モノ
- カモのネギには毒がある 加茂教授の人間経済学講義/甲斐谷忍
- しょせん他人事ですから ~とある弁護士の本音の仕事~/左藤真通
わざわざ本読んで勉強するほどじゃないけど、このカラクリは理解しておいた方がいいよねーみたいなのに役だつ
荒川弘
- 黄泉のツガイ/荒川弘
- アルスラーン戦記/荒川弘
荒川先生のエピソードとか価値観好きではあるけど、ちゃんと調理してお出ししてほしい派なので、黄泉のツガイきっかけで途中で止まってたアルスラーンもキャッチアップした。
人間模様
- 違国日記/ヤマシタトモコ
- 環と周/よしながふみ
- Artiste(アルティスト)/さもえど太郎
違国日記とか環と周とか、こういう漫画が普通に商業に乗って普通に売れる世の中になってよかったと思います。