オールドミスの叔母がいる。
その叔母のことを、父(叔母の兄だ)が、矢鱈とdisる。
曰く、肉を買ってこいといえばデパ地下の三田屋でステーキ肉を買ってくるし、今日はキャベツが高いから別の葉物野菜にするかとか、そういうのが全くわからない。
料理をしていても、自炊をしていれば当然知っているようなちょっとしたこと(葉物は根本から湯がくとか)を全然知らない。
年寄りになるまで、ロクに自分で料理もしないでフラフラしているとああなる、と。
なんで、得意げにそれを私に言うのだろう。
それは、私の将来の姿なのに。
二年ほど前に祖母が倒れてから、両親が交代で京都へ行き、祖父母の面倒を見ている。
父は定年退職する前も後も、気が向いた時に突然飲み屋で教えてもらったレシピだとかを作って、それで「家事をした」と思っている、典型的な「理解ある夫()」という感じで、その父ですら知っていることを叔母が知らないのは確かにヤバいかもしれない。
だが、父が通うようになるまで、三十年近く祖父母の面倒をみてきたのは叔母だ。
叔母はパッチワークキルトが趣味で、その他ミニチュアハウスとか陶器の指ぬきのコレクションとか山のように持っていた。
第一勧銀に勤めていて、バブルでしこたま稼いだあとマンションを買って移り住んだが、その時もっとそういうアトリエとかが多い文化的な地域に移っても良かったはずなのに、祖父母の家(つまり叔母の実家)から徒歩5分の、ガソリンスタンドとオフィスビルしかない堀川通沿いの家を選んだのは、祖父母が目に届くように、何かあったら駆けつけられるようにだ。長男(=父)は東京で妹は川西で、どちらもすぐには駆けつけられない。残った自分がなんとかしなければならないと叔母は思ったに違いない。
父は毎日夕食を食べに実家に帰っている叔母を自立できていないからだとか甘えだとか評している。でもそうだろうか。正直言って祖母の作る飯はそんなに美味くない。いや、不味くはないけど全体的に茶色、みたいなアレだ。故郷では水も空気も美味かったから良いかもしれないがクソ不味い京都の水の臭いをどうにかするノウハウもなく、東京から行って食うとウッと思うことはしばしばあった。いくら自炊が苦手と言っても、毎晩実家に戻ってまで食いたいほどの味とも思えない。外食すればいいじゃんと思ってしまう。
もちろん、現在と違ってコンビニも無ければファストフード店も多くない、女性の一人飯に手頃なダイニングカフェみたいなのもない。psiが想像するよりも当時自炊せずに外食で済ませるのはハードルが高かったのかもしれない。
叔母の目的がどちらであったにせよ、結果論として三十年間祖父母を見守り続け話し相手になっていたのは叔母だ。
その間のうのうと東京で過ごしていたことを、後ろめたく思いこそすれ、なぜそんな風に悪く言えるのか、わからない。
叔母にpsiは可愛がられていたと思う。
親や祖父母よりも沢山お小遣いをくれることも多く、銀行は儲かるんだなと思った。
年上の従兄妹が二人いたが、二人よりも可愛がられていたかもしれない。というか、奔放な性格の二人は自分で好き勝手にするので、世話を焼く余地がなかったんだと思う。
両親にはデブスキャラ扱いされ少女趣味なことを言うと「ご冗談でしょう」と失笑されるpsiに、手芸やお菓子作りが好きだと言ったら喜んでパッチワークに使った端布をくれたり、一緒に祖父の誕生日用のフルーツパウンドケーキを作ってくれたのも叔母だ。
祖父母の家には風呂が無く(後に風呂ユニットを追加した)、祖父母の家に泊まる日は歩いて五分以上かかる銭湯に通っていたが、従兄妹やpsiが年頃になり色々とデリケートな問題があると思ったのか、psiだけ叔母の家で風呂を使い、そのまま泊まるという慣習になった。
オートロックのマンションは初めてだった。玄関ドアに郵便受けがなく、朝、新聞を1Fまで取りに行かないと行けない。鍵を持っていかないと、郵便受けを開けている間に自動ドアが締まってしまう。
psiの母親は滅多に化粧をしない人間だったので、叔母の洗面所には知らない道具がいっぱいあった。メイク道具は勿論、整髪料やカーラーでビッシリだった。
下着は自分で下洗いをしてから洗濯機に入れろと言われ、下着用の洗濯洗剤と洗面器を渡された。これも実家にはない文化だった。
インテリアはモダンでじじむさい毛布とかは存在せず、朝はインスタントじゃないコーヒーでカフェオレを作ってくれた。
アイスクリームといえばレディーボーデンだと思っていたpsiにハーゲンダッツを教えてくれたのも叔母だ。
叔母は、現在のpsiよりも遥かにちゃんとした身なりをしていた。
叔母は、現在のpsiよりも遥かに家を綺麗に保っていた。
叔母は、前触れ無く母親が家に来たくらいで発狂せず、毎日話し相手になってやっていた。
それでも、そんなにdisられないといけないような人なんだろうか。
ところで、先日姪が生まれたので会いに行ってきた。
可愛かった。
この子に何ができるだろうと考えて、唐突に理解した。
叔母は、銀行づとめで高給だったからお小遣いをくれたのではない。お金以外にあげられるものがなかったのだ。
小姑が下手に世話を焼いても気を使わせるだけだし、そもそも、経産婦でない人間に力になれることは少ない。
子どもが産まれると親の気持ちがわかるようになるというが、私は叔母の気持ちが分かった気がした。
お金を渡すしか出来ない自分がどんなに情けなく、惨めに感じたか。
私を家に泊める時、どんなに嬉しく、緊張したか。いつもより念入りに掃除をしたに違いない。あたかも、いつも買い置きの予備のタオルや歯ブラシがあるような振りをして、慌てて補充していたかもしれない。
一人目と二人目の姪はミーハーでアイドルとかしか興味なく、手芸やミニチュアには見向きもしなかったが、三人目が手芸が好きだと言い出して、端布をあげたら宝物の山を見るような目になったのを見る時の気持ち。
私は多分この子にいっぱいお小遣いをあげるだろう。
そして、弟と奥さんには「イマイチ役に立たない姉/義姉」と思われるだろう。
そして、もし、彼女が大きくなって、「ブリットポップってなに?」とか「小野大輔って声優知ってる?」とか言い出したら、多分私は泣くだろう。
ていうか今想像して既に泣いてる。