私の母にはちょっとした遺伝子異常がある。その直接の形質ではないのだが、副次的に耳が聞こえづらい。
難聴というほどではなく、日常生活にほとんど支障はないのだが、例えば台所に立っていて、洗い物をしていたり、換気扇が回っていたりと雑音があるなかで話しかけられたりして、多くの人が「ちょっと聞こえづらいな」と思うようなケースで、彼女は半分も意味がとれていない。
だが、彼女はその原因が自身の遺伝子異常に端を発するからか、幼い頃から自分が聞こえづらいことを周囲に隠してずっと生きてきた。彼女は地元京都では周囲から「天神さん」と呼ばれるほどの頭脳をもっていたので、聞こえなくても前後の文脈から話を類推して受け答えすることが出来た。したがって、たまに聞こえていないようなリアクションをしても、なにか小難しい考え事でもしていたのだろうと、身体機能の問題であるとは思われていなかったようだ。
それでずっとそうして生きてきたので、家族(つまり私、弟、父)に対しても、聞こえの問題を隠し、自分で勝手に想定したストーリーにもとづいて会話をしていた。
だがさすがに四六時中同じ家で過ごしていると、無視される、伝えたはずのことが伝わっていない(それで「そんなん聞いてへん」と後から叱られる)、こっちの主張をまるで無視した答えを返す、といったことが多く発生する。でも、ちゃんと伝わっている(ように見える)こともあるので、まさか物理的に聞こえていないとは思わない。
結論として、「この人間は、自分の子供がどういうことを考え、主張しているかなどまるで重視していない。聞く気がない。自分の中の正義をふりかざすことしか考えていない」としか思えなかった。それを何百回何千回と繰り返すと、もう感覚レベルでその独善への嫌悪感が(それだけが原因ではない、というかメインの原因は別なのだが)拭えなくなる。
彼女の遺伝子の問題とそれにまつわる色々は、二十歳もとうに過ぎた頃に明かされたのだが、原因を今更明かされても染み付いた感性を変えることはほとんど不可能だ。そしてそれまでの時間を取り返すことも絶対に出来ない。
それを知った当時、自分は皮肉なことにバイオテクノロジーを学んでいたが、仮に遺伝子技術によって彼女の問題が後天的に解決できるようになったとしても、時間は取り戻せないし、私の感性を変えることも出来ない。私は自分の中の学問へのモチベーションが急速に萎えていくのを感じた。
と同時に、自分の性質の色々な問題のほとんどが、母親の、自身の遺伝子異常に関する様々な形のコンプレックスによって説明できることに気づいてしまうのだが、そうするとまるで全てを親の教育のせいにしているイタい子みたいなので、逆に自分のダメな部分への言い訳の道を塞がれてしまった気がした。……まあ、いいや、この話は関係ないからいいや。
あ、別に今日この話を書いたのには特に深い意味は無いですよ。ないんだからな!